私は、喫煙者なのだが、数年ぶりに、後輩から貰った「禁煙セラピー」を読み返している。
読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー [セラピーシリーズ] (ムックセレクト)
- 作者: アレン・カー,阪本章子
- 出版社/メーカー: ロングセラーズ
- 発売日: 1996/05/01
- メディア: 新書
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その辺りが、禁煙セラピーを読んだのにも関わらず、最長の禁煙期間が七ヶ月という原因かも知れない。もしくは、時々、「タバコを吸う人になりたい。」という願いがあるからかも知れない。
そんな中で、最近の嫌煙の世の中の風潮を考えてみた。これまでタバコが我が物顔で暴れまくっていたのもあるのかも知れないけど、最近の嫌煙の世の中は、逆転現象が起きている気がする。インターネットでの、嫌煙家の暴れっぷりは、別のヤバさを感じる。
実生活での極端な例をあげてみると、とあるパチンコ店に入って、1円パチンコをやっていて、タバコを吸ったら、横のご婦人が、見るからに怪訝な顔をして、私から流れる煙をパタパタとかき消し始めた。私は、「なんたる…」と思った。パチンコも、タバコも社会的な悪習だと思うから、どの立場の人が、どんな風に考えるかは、お任せしたいけど、私が思ったのは、「タバコの煙が迷惑ならパチンコしなければいいのに…」という事だった。
私は、パチンコもやるし、喫煙者なので、それらに対する激しいディスに対しては、反感を覚える。それは、タバコやパチンコの中毒性、麻薬性の部分かな?と思えるのだけど、タバコ、パチンコの場合は、明らかに世の中の流れがそんな感じになっているから、それを批判することへの正当性、正義が保障されている気がする。
例えばの話。電車にのってたら、よれよれのシャツを着たデブが、汗をふぅふぅかいて汗臭かったから、吐きそうになった。とか。隣にオッサンが座ったら、加齢臭がして、吐きそうになった。オッサン専用車両を作って欲しい。
というような意見を公の場、インターネットで書いた時は、まだ、発信者が罵倒されそうな気がするけど、そろそろ、「嫌臭い」の流れから、よれよれシャツとか、加齢臭の方が、揶揄される時代が来るかも知れない。もう来ているかも知れない。
タバコの問題に戻してみると、タバコは、もう、世の中の悪者になっているから、常に罵倒を浴びるような立場になってしまった。が、値段は上がりつつも、まだ、販売されていて、喫煙場所も減りつつも、まだある。JTが望んでいるのは、分煙化らしい。本当にタバコを世の中から無くすためには、販売しなければ良い訳だけど。また、タバコばかり値上げするなら、同じくらい、お酒も値段を上げないといけないと思う。タバコが身体に悪いのと同じぐらい…じゃなくても、お酒も身体に悪いだろうし、あんなモノは、悪習だ。
私は、お酒も大好きです。
話が、てんやわんやなのだけど、最終的に思ったのは、何かを批判する時、嫌う時、罵倒する時は、世の中全体の風潮を考慮して、引き算をしないといけないのじゃないか?ということだった。嫌煙の世の中になっているなら、それを追い風にするのじゃなくて、差っぴいて考えないと、喫煙者の反感になり、次なる一本になるのじゃないか?と。世の中から、喫煙を無くすのは、嫌悪じゃあなくて、許容だと、1喫煙者としては、思う。後、タバコが嫌いなのか、タバコを吸う1個人が嫌いなのか、その辺りも一緒くたになっている感じもする。パチンコなんて、タバコとワンセットになるから、タバコ嫌いの人は、芋蔓式にパチンコも嫌いだったりすると思う。
というようなことを考えた時に、例えば、原発とか、消費税とか、インターネットでやりとりする感情の中に、世の中の状況を考慮した引き算の思考が自分で出来ているか?と言われると、ちょっと、自信がないと思う。
禁煙セラピーを読み終わった時に、再び、非喫煙者になれるかどうかは、分からないけど、吸う人の気持ちが判る人になりたい…と今、思っているのだけど、それすらも、タバコによる「洗脳」だろうか。自分が嫌うモノには、徹底的に距離をとる、罵倒する…というのが、正常な精神状態なのかも知れない。でも、実は、根拠のない自信とか、罵倒が渦巻くのも、なんだか、疲れたり。
こまねち。