ナカノ実験室
2013/01/29 [10:21]
また、社会的なテーマになっているけど、教師と生徒間の暴力が『体罰』という言葉に置き換わっていることは、問題だと思う。
すごく極端に考えると、教師が殴れば『体罰』、街中のおっさんが殴れば『通報』みたいな感じはあると思う。
乱れ蝙蝠
2013/01/30 [01:15]
ああ、その意見いろいろなとこで見ました。普通に暴行罪ですからね。うまい理由でっちあげて、憂さ晴らしにぶん殴って
「おまえが悪いんだぞ」
というのもあるかもしれない。一種の洗脳だ、こりゃ。
ナカノ実験室
2013/01/30 [07:40]
少なくとも、体『罰』というからには、一定の方法を定める必要はあるように思える。方法と形式と。座禅を組んで、お坊さんが棒で肩をピシっと打つのは、少なくとも暴力だとは思わないし。
平手打ちも暴力だけど、体罰のイメージは頬を打つ…ようなイメージはある。ニュースを見ていると、足を蹴って転倒させるとかも『体罰』と表現しているのは、暴力人間を保護しているように思えるな。
乱れ蝙蝠
2013/01/30 [20:41]
確かにお坊さんがあのへらみたいなので叩くのは暴力とは思わないな。やらないにこした事は無いし、やるべきじゃないと思うけど、もし体罰をするならルール作りはいるでしょう。蹴ったりすることまで必要とは思えない。体罰っていって許せるのは軽くゲンコツとか平手ぐらいでしょう、やはり。
ナカノ実験室
2013/01/31 [07:18]
後、『罰』というからには、受ける側の『了承』も必要だと思う。ルール作りも必要という部分に連関するかも知れないけど、『罰』だとしたら、量刑も執行も教師が1人でやっている感じだものな。
まぁ、教師と生徒の関係って個人の判断によるところも多いのだろうけど、体罰も、暴力も一緒くたになっている現状がありますわな。
乱れ蝙蝠
2013/01/31 [14:30]
量刑も執行も一人でしている・・なるほど。闇に葬られかねないですね。力で押さえ付けるのは教育じゃないし、学校の部活で勝つ事が第一になってるのがおかしい。スポーツすることを通して何かを教えるのが学校じゃないのかと。プロじゃないんだし。学校の名前売るのに生徒利用している気が・・・。
ナカノ実験室
2013/01/31 [17:12]
>学校の部活で勝つ事が第一になってるのがおかしい。スポーツすることを通して何かを教えるのが学校じゃないのかと。
この辺りの『スポーツに勝つこと』の歪みは、学校の世界を出ても、オリンピックとか全部に通して言えるかも知れないな。オリンピックの柔道でも、体罰とかあったらしいし。
体罰(暴力)を行っても「勝つ」世界というのは、見直されるべきなのかも知れないな。そしてそれは、スポーツ以外にも、世の中に共通することはあるかも知れない。
関連記事。
大阪で起きた体罰と入試停止の問題の記事への反応みていると・・・。少なからず、中学浪人をさせてでも入試を中止して、募集を停止すべき!という橋本市長に賛同する意見があるのだが…。
体罰を嫌う正義の氾濫に関して(SNS型ナカノちゃんねる実験)。 - 伝外超スデメキルヤ団劇