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三角食べという考え方は廃れさせないといけない時代がやってきた。

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 「三角食べ」という言葉はご存じだろうか?私の語彙の中では、「白ご飯とオカズをバランス良く」、「ご飯⇔オカズ」というのを繰り返しながら、食べていく…というイメージでした。調べてみると、Wikiには、私の知らないことも書いてあったので、それは、後述。

 一つのジレンマとして、「三角食べ」を「正しいこと」と考えていて、「三角食べ」をしない人にあった時…というのが、若い頃に、何度かありました。

 しかし、何を「正しいこと」に拘っていたのだろうか!と、今日、不意に思いました。「拘る」とは、「悪い感じに執着する」ということなので、まさに、「拘っていた」訳です。

 先ず、「三角食べ」に関して引用。

三角食べ(さんかくたべ)とは、和食を食べるときに飯と味噌汁とおかずを“順序よく食べる”方法のことである。



もともと、1970年代頃、日本の一部の学校における給食の指導で広められた言葉である。“和食をおいしく味わうため”として指導が行われたが、過度の管理教育につながった。そのため、近年[いつ?]では、ご飯とおかずを順序良く食べることは指導されるものの、「三角食べ」として指導されることはほとんどない。

三角食べ - Wikipedia

 私は、「白ご飯⇔オカズ」のやりとり…というイメージがあったのですが、『三角を描く』という強制力があったのですね。さらに、真偽に判断は必要っぽいですが、それが「過度の管理教育」とかも…。そして、同じページにありますが…。

具体的には、パン→牛乳→おかずなどのような一方向のみに食べることが児童生徒に強制された。米飯の給食(1976年に、農政上問題になった余剰米の消費促進の為に導入された)においても同様に指導されたために、ご飯を口に含ませたまま牛乳を飲まなければならないようなことも起こった。

三角食べ - Wikipedia

 口の中で、ご飯と牛乳を混ぜないといけない状態にも…。私は、牛乳ご飯とか大丈夫ですけど、一般的には過酷であると…。

 この辺りを読んでみると、私の中で「三角食べ」が「バランスよく食べる」というイメージにすり替わっていたことに気が付きました。そして、それは、「ご飯⇔オカズ」という往復、そして、それは、『口内調理』とも呼ばれるみたいです。

なんと下らない価値観であったか!

 あえて「三角食べ」という言葉を使いますが、三角食べ派の私が、非三角食べ派の人と対峙した時に、「それは身体的には悪いことなんだよぅ」というような意思の元に、そういう話を一度は、したことがあると思います。ここで、下らないことが、2点くらい。

  1. 食べ物の食べ方、量を気にするのが下らない。
  2. 三角食べを「正義」と考えるのが下らない。


 1.に関して。不健康をうたう訳じゃあないけど、食生活全般を見直すと、量とかバランス以前に考えないといけない気がする。さらに、意識しているバランスが本当に良いかどうかも分からない。つまり、三角食べが、本当に「正しい」かどうかも、実は、よく分かってない。だから、下らなく思えた。

 2.に関して。知らず知らずの間に「三角食べ」が絶対的な「正義」のような位置づけになっていたことが、下らない。口内調理や、栄養成分のバランス等々の健康的問題を背景にするのは、嫌煙家の切り札の一つ「身体に悪い」と同じように思えた。

 「健康」を「正義」にする、絶対的な価値観にする、それを背景にする、拠り所にする…全てが下らなく思えた。

それでも、健康と食事のバランスを考えるなら。

 『三角食べ』、『口内調理』というのは、一つの手法である…くらいの認識にして、権威を奪ってしまわなければならないと思った。でも、偏食や同じ物だけ食べる…というのが、健康被害に繋がるのであれば、何かを考えなければならない気がする(この考え方自体が「三角食べ」を背負った上から目線な気がしますが、すみません)。

 以前、TVで聞いた話だと、生野菜を最初の方に食べると、その後の、食事で「血糖値の上昇」を抑えるらしい。だから、食べる順番というのも、何かしらの影響があるのだろうけど、白飯⇔オカズの往復接触が、ベストかどうかはよく分からない。

 だから、最終的に食べた量のバランスは尊重した方が良いようには思える。そもそも「三角食べ」は、「白飯」を前提とした考え方のように思えるが、パン、パスタ、うどん、蕎麦、ラーメン、ソーメンと、炭水化物のチョイスは、沢山あるから、白飯が主食という考え方も捨ててよいかも知れない。でも、三角食べで飼い慣らされた私は、白飯が大好きなのですが…。

 「三角食べ」は、一つの方法として、別の方法を提案…いや、それすら、おごった考え方のように思える。

終ります。

 などと、わーわーと書きましたが、これまでに、「三角食べ」に関して生じていた心の摩擦、ジレンマというのは、結局は、私の中の「三角食べは正義!」という考え方に起因していたことが分かりました。

 そして、「正義」という後ろ盾がなくなれば、問題にすべきは、量とバランスであり、だから、「もっと野菜のメニューも頼んだ方が良いのじゃない?」とか、「牛蒡は食物繊維が豊富よ?」とか、提案する分には、ジレンマもあまり、生じないように思えました。

 が、なんだか、今のテンションでは、「誰が」「何を」「どれだけ」「食べる」ことを、気にすることすら、「下らないこと」だと思えます。いや、冷静な頭では「野菜は食べた方がええ」とか思っているのですが、それでも、何かが心の中に訴えてくるのは、三角食べで作られた食欲のすぐ外に作られたバリアーみたいなモノから、しみだしてくる「好きなモノをむっちゃくちゃに喰ってやりたい!」という衝動なのかも知れない。

 いつまでも書けるような気がするので、この辺りで…。こまねち。