しばらく凍結させていたWeb罵倒観音の構想だけど、ツイッターの罵倒観音がツイートする罵倒内容が、ほとんど私のモノになっているので、広く罵倒を集める意味で、罵倒収集ページを作りました。
このことも、罪深い行為に思えたのですが、昨晩、色々な増田記事を読んで、そこに溢れる憤り!とかを考えると、既に、同様の機能を持つ場は提供されているし…罵倒観音というアイデアも悪くないのじゃないかな…と思いました。
また、掘り起こして書きたい気持ちもありますが、昨晩読んだ記事を、ざくっと紹介。
最近ようやく、休みの日に外を出歩いて気分転換できるだけの気力と体力を取り戻したところだ。
それに伴い、地元に残っている旧い友達、あるいは社会人になってから新しくできた友達と、週末に食事をしたりしている。
その延長線上で、男からセックスを求められることの多さに、本当に辟易している。
http://anond.hatelabo.jp/20111119182545
男女の話。関わってきた人間集団の違いなのか、そういう集団に関わったことはないけど、そんなに肉体関係のみを要求する男がいる…というのが、私には、遠い世界のように思えた。いや、思い浮ぶ人物もいると思うが…。単純な性欲とかは、素晴らしいエロマンガとか沢山あるし、それでも、人の温もりを求めるというのは、やはり、人間はそういうモノなのだろうか。それは、書かれた増田女史と、その周囲の男達、両方に言えるけど…。
独身のまま中年に差し掛かっておいて
独身で生きていく能力や意志を欠き、
そこから異性を探し始める醜い不良債権。
これが社会を覆い出したらどんな百鬼夜行だろうか。
偶然にも同い年(か1歳上)の増田氏が書かれたこと。この増田氏が無職じゃあないと思うけど、「あれ?俺が書いた?」と思わせる記事。結婚に際して…若い頃は、経済的なことを含めて、ハードルが高すぎる…。色々な要素が淘汰される頃には、それらがグロテスクに思える。どうすりゃいいねん。椿鬼奴さんとか大好きな私は、40代くらいになっても…と思ったけど、よくよく考えれば、椿鬼奴さんは、普通じゃない、私とは釣り合わない輝かしい女性なのだ。
今、31歳。結婚を絶望するには若すぎた。だけど、誰か分からない相手を仮想結婚相手に見据えて、それを活力に変えることは、今の僕には出来ない。
「ただしイケメンに限る」場で排斥されるのは傷つかないが、
「ただしフツメン以上に限る」場で排斥されるのは傷つく。
"お前は普通未満だ"というメッセージをぶつけられたときに人は傷つくのだ。
普通を定義するということは、その基準に満たない人々に"普通未満"というメッセージをぶつけているのと同じだ。
この記事が私を開眼させた。現在、無職の私は、必然的に「普通以下」という認識を持っていて、また、引用部分にあるように「イケメン」だと思ってないし…あ、でも、「フツメン以下」と言われたら、クるモノがあるかも知れない。
「普通」という言葉が、何気なく使われる言葉が、どれだけ人にダメージを与えるかが分かった。そこに発生する憤りが、罵倒なんじゃあないだろうか。罵倒という意味では、はてな増田という匿名で投稿できる、素晴らしい場は、既に提供されちゃっている訳だけど…。
それは、良いとして…。この記事を読んで、色んな価値観の人がいる、お金持ちやリア充と同じ土俵で勝負してはいけない。新しい価値観を見つけ出すべき…と考えた。もしも、普通という括りが、乱用されて、それによって傷つくなら、「お前たちは普通じゃない!」と声を上げ続けるしかないのじゃないかな…と思った。
これらの増田記事を読んでいて、罵倒観音という(画像的含め)イメージ優先で、Webページを作ってしまったけど、また、罵倒の意味を改変しているので、造語みたいになっているけど、全ては、「ルサンチマン」という言葉で説明がつくのじゃないかと思った。そういう意味では、『Web罵倒観音』は、ルサンチマンを受け止め、そして、拡散させる仕組みなのだと、理解した。それは、見て嫌な気持ちになる人はいるだろうけど、一定評価出来るのじゃないかな、と思いました。
そういう訳で、昨晩、とりあえず匿名『罵倒』を送ることが出来る『罵倒所』を作りました。罵倒観音ツイッターがツイートする罵倒の募集ページですね。ある程度、罵倒が集まったら、ツイッターに放出して行こうと思います。良かったら、以下からアクセスして下さい。
ちょっとイメージ優先で作ったページなので、変な画像で構成されてたりする当りが、一応の注意事項です。後、罵倒投稿は、匿名で行えますけど、インターネットに完全な匿名はありえないので、注意して下さい。IPアドレスとかから、楽勝で、個人特定に至ります。ご注意下さい。
…現在、Web罵倒観音のツイッターアカウントがごく少数フォローされてますけど、罵倒の放出が始まった時に、どう思われるかが、少し、心配です。後、この記事を書いたことで、集まった罵倒が「私に対する罵倒」ことだったらどうしよう…という不安もありますが、それも、受け止めて、放出しないといけないのかな…と思います。という予防線を張っておきます。こまねち。