感情と行動までの距離、時間ってあると思います。感情を理性でコントロールするのが社会的生物である『人間』だと思うのですが、その意識レベルには人それぞれのように感じます。
いきなりラストから…。
昨晩読んだ増田記事のエントリラストから触れてみると、恋愛に関わらず、ほぼ全ての部分が引用した部分にあてはまるのじゃないかな?と思えました。以下が引用です。
お互いの領域をほどよく侵犯するのが恋愛だと思うので、杓子定規に一般論として間違っているという指摘をしてもしょうがないと思います。俺が、私が、が起点でいいんじゃないでしょうか。
ダブルバインドじゃないかもしれんけどなあ
この『俺が、私が、が起点』で考えた時に、起点が『一般論』の人もいるはずで(私もそう)、全部のブコメやレス増田、関連エントリを読んだ訳じゃないですが、皆、起点が自分の中にあり、だからこそ、色々と反響があるのじゃないかな?と。
この増田記事にはてブコメントしていた内容。
- なんか異常にややこしいことになっているけど、「口約束を守る」って最低レベルでの相手への信頼なのじゃないだろうか?
正直言うと、価値観や論法、ライティング、リーディングを培ってきた土壌が違うのか(私は培ってません)、なかなか理解が難しかったのですが、以下の引用部分に関して、思うところがありました。
わざわざリスキーな同室を選んだ挙句、セックスの強要を迫られたにも関わらず、ロマンティシズムの世界から増田で状況を描写する。日帰り旅行に比べてあまりにもややこしすぎませんか?
まぁ、まんまエントリタイトルにした『恋人との旅行が別室ならそもそもお泊り旅行にならなかっただろうな』です。勿論、元々増田が彼氏に提示した条件の中に…。
- 部屋を別にして欲しい。
というのが含まれてたら、そういうことは起きなかったかも知れませんが、しかし、もしそうしていたら、深夜に忍び込んでくる…とかありえる話で、それだったら別の恐怖があったかも知れませんし、「部屋が別なら旅行はしない」ということになるのじゃないか?とも思えます。
私の起点。
色々と考えてみると、私の考えとしては…。
- 欲望で口約束を反故にしないのが『普通』。
- でも、恋人同士の旅行で別室はちょっとよそよそしい?
- ここに書けないことは小説ブログの方で書いた。
という感じです。これが『一般論』なのか?果たして『普通』なのかは、一考の余地があるように思えます。
終わります。
しかしながら、『恋人同士の旅行で別室はちょっとよそよそしい?』と思ってみても、多分、それが婚前旅行のディフォルトと考える人もいるでしょうし、その『普通』も『普通』に『普通』だと思えることと…そういう人に、今後出会った時に、受けいれられる度量が欲しいモノです(しにたい)。
そういえば、引用した増田記事に「据え膳Dis」を浴びせてくる女性の存在もあるみたいですが…私の場合は、どうなるだろうな…。どうにもできないかも知れない(しにたい)。