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マンガはマンガであるだけ面白いという考え方をもう一度考える(傲慢)

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 昨年、とある飲み会に参加したした時に、「マンガというのは、マンガであるだけで、面白いのですよ」と言ったら、「でも評価する域に達してない作品もある。」と言われて、「むぅ…」と思っていたのだけど、もう一度、そのことを思い出して、考えてみる。

 マンガは、マンガであるだけで面白い…とは?

私は、批判・批評は大いに尊重され、誹謗中傷・侮辱は最大限に蔑まれるべきと考えます。



その二つを隔てるものは何か。



その行為が被行為者との目的を共にした協働作業の範囲内といえるかどうかにかかっていると思います。



つまり、前向きに意見を出し合って、より良い合意や意思決定に至ろうというのが批判です。



その意味で、まさに民主主義の土台となる考え方といえるでしょう。

「言葉は刀」...ソーシャルメディア時代の批判・批評と誹謗中傷・侮辱 | ナルシマツトム

 この記事の引用部分を読んで、思い出しました。子どもの頃に、マンガが、TVか、アニメか忘れましたけど、「つまらない」とか、感想を述べていると、「だったら、お前は出来るのか?」と、兄が言ったのを覚えています。正直、長い間、「何を言っているのだ、このタコ助」と思っていたのですが、これは、正しい部分もあるように思えます。

 私は、自分で演劇をやっている関係で、演出とか役者さんとかの技術的な部分で「ん?」と思っても、「今はできてない」くらいの感想以上には、進めないようにしています。少なくとも今は。逆に、意気込みとか、向き合い方に、軽薄なモノを感じると、激しく、憎悪したりするのですが…。

 まぁ、それは、さておき。

 まぁ、演劇とかのことを考えると、一番、身近ななのですが、演劇にしろ、マンガにしろ、絵画にしろ、小説にしろ、「なんらかの表現方法を用いて、表現している」という、一番、最初の部分は、少なくとも、評価されないといけないのじゃないか?と思う訳です。

 世の中に出たモノは、「批判・批評されてしかるべき」という考えもあるかも知れませんけど、案外、自分ではマンガを書かない人が、「つまんねーマンガwww」とか、小説を書かない人が、「つまんねー話www」とか言っちゃっているのが、現代のように思えます。全ての人が「表現者」である必要はないですが、内容をアレコレ感じる(罵倒する)のと同時に、「どういう風に創作されたか?」というのに、想像を深めるのも、理解を広げ、情緒を豊かにするのだと思うのです。

 「じゃあ、お前は何やねん?」と言われたら、このエントリが七大罪のうちの「傲慢」という訳なのです。こういうエントリは、出すタイミングによっちゃあ、大炎上につながる気もするけど、大丈夫だろう。こまねち。