2013/02/19 [16:37]
暴力が伴う体罰に関しては、これまで反対の立場を唱えていたけれど、ただ一つ危惧する部分がある。それは世の中に蔓延している暴力や『痛み』に関すること。
親とか教師の関係じゃあなくても、暴力に遭遇することは、ありえるのだけど、まだ、親、教師と立場がある人々が振るう暴力には、最低限の責任があるようにも思える。
かなり極端な例だけど、学校という守られた社会の中で、人間関係のもつれから、暴力に発展することや、痛みが伴うことを経験しておかないといけないようにも思える。
勿論、暴力無菌状態なんて、教育や家庭から暴力がなくなってもありえないと思うけど、世の中の体罰(暴力)批判に賛成する一方で、何か失われることの危惧のようなモノを感じる。
乱れ蝙蝠
2013/02/20 [02:37]
ああなるほど。確かに暴力というものはあるんだ、という事を教えておくのも大事かもしれない。それも教育というものだろうか。世の中に暴力は時として必要となる時もある、また理不尽にふるわれる時もあるという事を自覚するのは大事かもしれない。無菌状態というのは一番恐ろしい気がします。
ナカノ実験室
2013/02/20 [07:31]
実際のところ、子ども同士でも殴ったり、叩いたりするから、暴力無菌状態というのは、想定しにくいけど、親や教師の暴力は、まだ、見知らぬ他人よりは「まし」という気もしたのですが…。
テレビで話題になる暴力教師は、ただの暴力人間が多い気もするが。
学校や家庭(?)から体罰を追放すると同時に、世の中には理不尽な暴力もあることを啓蒙すべきなのかな。いや、子ども同士でも暴力はあるか…。
よく考えると、暴力が『体罰』というお墨付きがついているのが、パワハラ的で性質が悪い訳か…。どうもこの話題は思考がループしがちですね。
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終わります。
勢いでトピックを立てたけど、あんまり思った内容にはなりませんでした。文字に書き出してみて分かったこと。