不思議なモノで、即興劇(エチュード)を初めてしまうと、普段無口な私も、どんどんと適当な事を喋ります。稽古場においてですが。話す事もよりも、意味のない沈黙の方が演劇的恐怖だからだろうか。そんな現実と架空の狭間を利用したエチュード・セラピーなんて事は出来ないだろうかと考えた事がありました。傷ついても、それは、自分ではなく。自分の言葉も自分のモノではない、そんな感じで。
そこから一歩進めて、性的な会話をエチュード形式で行うセラピーなんてモノは出来ないだろうか。女性はどんな感じか知らないですが、独身貴族男の私は、対人的に、さらに、異性と性的会話をする事は、日々、ほとんどないです。参加者は、性的会話を行い、興奮する事が目的。言葉主体の乱交パーティーみたいな。それで盛り上がって肉体関係に発展するようなエロマンガ的展開も現実的にはないでしょう。そんなん楽しいのじゃないかと。
自分の内なる欲望を発散するのは、それでも、恥ずかしい感じがするから、仮面とかつけて行ったらよいかも。仮に誰か分かっても知らんぷりしましょう。
というような思いを元に以下の小説を書きました。
嘘です。