私も挨拶は苦手です。目を見て話すもの苦手ですし、喋るのも苦手です。同じ内容の意思疎通なら筆談の方が気が楽ですし、なんでもかんでもコミュニケーション(笑)を重視する風潮は苦手です。
明るさや人当たりの良さを尊重する一方で、暗い人、寡黙な人、だけど誠実な人を社会全体で透明な鈍い棘ゆっくりと確実に刺して傷つけているように思えます。
挨拶に関する記事。
イケダハヤトさんの記事で挨拶に関する記事を読みました。まぁ、ヘッドラインを読んだ時点で「燃えそう」と思ったのですが、実際、燃えているみたいです。
そういう時は、共感できる部分を引用して言及すれば良いのじゃないでしょうか?以下が共感した部分の引用です。
何だか日本社会においては「挨拶が苦手」と語ること自体がタブーみたいになっていますが、別に、いろんな人がいていいんじゃないでしょうかね?
たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない? - ihayato.書店 | ihayato.書店
色々と挨拶にまつわることが書かれてますが、その関係で燃えてますけど(ヘッドラインだけでブクマしている人もいると思う)、この引用部分は「ええこと言わはるな。」と思いました。
挨拶ができない事で人を悪く評価する。
ちょっと会社員時代を思い出してみると、主にパートのおばちゃんが多かったですが「挨拶をしない」ということを非難のとっかかりにして、関係性ができる前にバッキバキにDisりまくっている人もいたりしました。
社会人のなんたらかんたら、ビジネスマナーのなんたらかんたらに到る前に「挨拶をしない(できない)」ということを罵倒材料、コミュニケーションという大義名分を免罪符にして人のことを罵倒する理由にしている人もいるのじゃないかな?と思いました。
まぁ、私が会った人の話なので、日本人の中でも数人しかいない稀有な例を全体化している可能性はありますが…。
終わります。
結局は、「挨拶ができない、苦手な人」もいるということを理解して、共感して振舞うのが大事なんじゃないかな?と思います。特に対人関係は、責任が50%ずつだと私は考えているのですが…。
もしかしたら、あの人が挨拶できない理由は、自分にあるのかも知れません。だから、自分の担当の50%を見つめなおしたら、挨拶を引き出せるかも知れません。
挨拶のあるなしは、色んな要素のある人間関係の中の一つのように思えますが、入り口であるせいか、コメントとうとうを見ていても「できて当然」という意見があることが驚きました。
反対側の立場を想像するのは大事だと思いますが…まぁ、私は挨拶苦手な立場なので、挨拶万歳(まんせい)派の気持ちも共感する必要があるのかも知れませんが…。