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亀岡無免許居眠り暴走事故から少年法を考える。

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社会が病めば、人が病む、子どもが病む、少年犯罪が増える、なんていう考えは出てこない。本当に少年の犯罪をなくすのは、罪の厳罰化とかでは、なくて、精神的に健康な社会が必要だと思う。罪の重さとは関係のない、理解の出来ない犯罪もあるだろう。

大田総理・『少年法廃止』だと・・・?(TV番組)【社会】

 この記事は、5年くらい前、26歳の私が書いていた記事なのだが、テレビ番組の感想ではあるけど、概ね「少年の立場」に立って書いていた記事だった。しかしながら、私の住む街、亀岡で、4月23日に大変な事故が起きた。5年前とは、考え方が変わった。

京都府亀岡市の府道で、集団登校の児童らの列に車が突っ込んだ事故で、京都府警は23日、市立安詳小2年、小谷真緒さん(7)と、負傷した別の児童の保護者の松村幸姫さん(26)=いずれも同市篠町篠下西山=の2人が死亡したと発表した。松村さんは妊娠約7カ月で、松村さんの死亡前に胎児の死亡も確認された。

京都・亀岡事故:小2と26歳女性の2人死亡− 毎日jp(毎日新聞)

 これを「事故」と言ってよいのか良く分からない。端的に言ってしまうと、加害者が少年であっても、「大変な事件、犯罪には厳罰化を!」ということなのだけど、一言にそう思ってしまえない部分もあると思う。

腹が立つところ。

 正直に言うと感情的にムカつく部分が多々ある。ちょっとニュース記事から、そのあたりを引用してまとめてみる。

児童ら10人が軽乗用車にはねられ、同小2年小谷真緒さん(7)と松村幸姫さん(26)の2人が死亡した事故から一夜明けた24日、亀岡署員や教諭ら多数の大人が見守る“厳戒態勢”のもと、同小児童が登校した。

安詳小 深い悲しみ 亀岡死傷事故 : 京都 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 冒頭の引用部分と重なるが、被害者が小学生児童や、妊婦さんであり、加害者が18歳である辺りに怒りを覚える。


事故後も携帯電話握って眺めていただけ
小学生や保護者をひき殺した少年は車の運転はできても、同乗していた少年らも含めて肝心の事故を起こしたときの対応は全く無知だった。事故を目撃し救助にあたった近所の住民は、「少年たちはケガをした児童たちを救助するわけでもなく、携帯電話を持ってただ突っ立っていた」と呆れる。

京都・亀岡「運転少年は無保険」被害補償出ない可能性(J-CASTテレビウォッチ) - livedoor ニュース

 呆然自失だったとも思えるのだけど、「携帯を持って」の部分が、怒りを増幅させる。

自動車運転過失傷害の疑いで逮捕された亀岡市の無職少年(18)は「一晩中走り、疲れて居眠り運転をした」と供述。

朝日新聞デジタル:無免許の18歳「一晩中走り、居眠り」 京都・亀岡事故 - 社会

この車の運転は初めてだったと話していることが捜査関係者への取材でわかった。
朝日新聞デジタル:事故車「初めて運転」 亀岡死傷事故の少年供述 - 社会

 一晩中走る、初めての運転…ともかく怒りがこみ上げる。

 こんな感じで、怒りが沸いてくるポイントが、かなりある。

事故は未然に防げたか?防げるのか?

 感情的になる部分は、感情的になる部分で…同じ街に住んでいるとは言え、関係者じゃない私は、感情的になってはいけないと思う。今回起きたような事故・事件は防げるのだろうか?

 運転免許がないと車が運転できない約束なのに、無免許の人が勝手に運転してしまったら…という部分は、技術的にはそんなに難しくないと思う。タバコですら、自動販売機では、タスポがないと買えない訳で、車を起動するにあたって、運転免許証と指紋認証をしないとエンジンがスタート出来ないような仕組みは作れると思う。

 のだけど、例えば、大災害が起きた時に、無免許であれ、自分の車じゃないにしろ、運転して逃げる…ということができなくなる可能性を考えると…無免許運転という倫理的な問題を解決するために、緊急避難ができなくなるのは、マズイように思える。

少年法を変えた方が良いか?

少年法では未成年者には成人同様の刑事処分を下すのではなく、原則として家庭裁判所により保護更生のための処置を下すことを規定する。ただし、家庭裁判所の判断により検察に逆送し刑事裁判に付さしめることもできるが、その場合においても不定期刑や量刑の緩和など様々な配慮を規定している(51条、52条、58条、59条、60条等。少年保護手続の項目も参照)。なお、少年に対してこのような規定をおくのは、未成年者の人格の可塑性に着目しているためとされている。
犯罪を犯した時に18歳未満であった少年の量刑に関して、51条1項は、死刑をもって処断すべき場合は無期刑にしなければならないとする。そして、同条2項は、無期刑をもって処断すべき場合でも、10年以上15年以下の有期刑にできるとする。

 私の「少年法」のイメージは、ざっくりと「まだ大人になってないから判断力なども幼く、その後の更生の可能性を考えて人生が終了する刑罰は課さない」という感じだ。この考え方は、とても大切で、亀岡で起きた無免許居眠り事故も「判断力が幼い」と言えると思う。無免許で運転してはいけないのにする、後先考えずに一晩中ドライブをする…真っ当な判断能力がアレば、こんなことはしない。

 18歳は、まだ子どもで、判断力もなくて、今後の更生の可能性もあるから…ということなのだが、どうにも感情でそれが割り切れない。判断力がない…とも言えるけど、背負っているモノがない、背負っている自覚がない…とも考えられる。少年だから…の反中におさまってない行動のように思える。

では少年法を変える覚悟は?

 感情のままに書くなら、「死刑にさらせ」という感じになってしまうけど…もしも、「少年でも場合によっては厳罰化を!」と考える部分の覚悟…を考えてみた。感情的になれば見失いがちだけど、少年法を変えれば、そう願った人にも関係してくると思う。

 それが少年であるなら、自分がそのような局面に立たされるかも知れないし、大人だったら、自分の子ども、孫、親戚、親戚の子ども…などが、同じ立場になりうる可能性がある…ということだと思う。よその子どもが死刑になるのと、知り合いの子どもが死刑になるのとでは…全然、違うと思う。


 多分、テレビで報道されていることに対して考える時、無意識的に「自分はそちら側には行かない」と考えていると思う。多分、確率的なことを考えれば、自分が、知り合いが加害者になる可能性は、極端に低いのだと思う。

終ります。

 などという風に考えて、少年法の改正に関しては…「なんとかせんといかんのじゃないか?」と思った。すくなくとも、5年前に考えていたことよりは…少年よりじゃあなくなったと思う。多分、「腹立つこと」で、まとめた内容による部分が大きい。

 無免許運転とか、倫理とか道徳に照らし合わせたら、危険で、やってはいけないこと…だと、すぐに分かると思うのだが。一つの間違いで、加害者の人生を終らせろ…とは、思えないのだけど、こういうことが起きるのは、社会が未成熟なんだと思う。

 いや…むしろ、倫理や道徳による部分だろうか。無免許運転なんていうのは、警察にバレた時のことで、誰にバレるとかじゃあなくて…「(神様とか含めて)誰かが見ている」という観点があれば…。

 無職をやっている私は、偉そうなことは言えないと思う。こまねち。