父親の仕事へ行く、車中。父親の知り合いが癌かなんかで亡くなったそうな。60歳くらい。もしも、私が肺癌とかなったら、もう、そのまま死んだらいいなー…とか思ったけど、同級生が若くして癌で死んだ事を考えると、そういう軽はずみな考えは駄目なのかも知れない。
しかし、年金が破たんしている昨今。自分が死にたいタイミングで死ぬ権利って、人間にはあるのかしらね?いや、自殺とかは、結局、迷惑行為な訳だしさ。
後、無職のくせに年金払っている私だけど、本当は払いたくない。親が、「身体障害者になった時どうする?」言われて、それに反論できなかった結果だ。結果、ガリガリと貯金が年金に消える。働けよ、って話か。「身体障害者になったら、人生終ったようなモノだし。その時に人生終了でいいよ。」とか、そんな言葉も思い浮ぶが、結局、倫理、道徳、良識という呪縛がそれを間違った考えだと分かるから、そんな考え方に説得力がない事も分かるジレンマ。
父親の仕事を手伝いにいっていたのだけど、喘息が出ていて、そんな後ろ向きな事ばかりを考えていた。接地抵抗を測定しろ…と言われて、補助接地局を使えと言われて、使ってたけど、うんともすんとも言わない。「数値が出ないのだけど…」と確認すると、補助接地局に線が繋がっていない。こんな簡単な事も気がつかないというのは、恐ろしい。
ご飯を食べて、午後になると、しんどさもマックスになってきて、やることがなくなったら、座って休んでいた。今日は本当は、やみいち行動だったのだけど、明日も、早いから、欠席をする事にした。しかし、そもそも、人触れ合って働くのが苦手だと分かった。なるべく在宅で、なくても、人と関わらないアルバイトでも探した方がいいかな。同時に人と馴染めない自分に開き直るのもいいかな?とも思えた。
「自分の性格に問題があるなら改善した方がいいのじゃない?」とか、誰かが言ったら、そんな奴はぶん殴ってやる!自分が自分であることも否定されるなら、ぶん殴ってやる!…そんな風に思考が、そぎれていった。喘息でしんどい時に考えることなんて、そんなもの。こまねち。