事件が起きて『裁判』が行われる中で、容疑が確定するなかで『証拠』というのが最大に重要視されている理由が分かります。「こいつが犯人じゃないとありえない」とか思いガチですが…。
そこに落とし穴があるように思えるのです。
以下のホットな記事を読みました。
- 【PC遠隔操作事件】被疑者の素顔を弁護人に聞く(江川 紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130219-00023545/ - すごいことになってきたな…。またもや誤認逮捕とかありえる気がするのだが…。極論、江ノ島で猫に触れた人は、みんな容疑者になるのじゃないか?
- はてなブックマーク - 【PC遠隔操作事件】被疑者の素顔を弁護人に聞く(江川 紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース
- 記事が消失してたら↑で雰囲気を味わえます。
このような記事を読んでみても、「彼が犯人じゃあなかったら誰が犯人なのだ?」とか「何故、真犯人はメールを送ってこないのか?」とか思えます。その発想を広げていくと、今捕まっている容疑者が真犯人なのじゃない?と思えたのですが…。
状況証拠の積み重ねの危険性を感じた。
訳です。それは、以下の記事を読んだからです。
- Open ブログ: ◆ 真犯人が誤認逮捕を指摘
- はてブコメント・気持ちは分かるけど、証拠以外の積み上げは危険なモノを感じる。
結構長い記事で、色々と関連情報を調べられている記事なのですが、読み進めるうちに、じわじわと「やばい」という感覚が広がっていて、以下の部分を読んで、それが身を結びました。その部分の引用です。
特に、「録画の要求」なんて、普通の市民の発想にはないですよ。犯罪者に特有の発想。なぜか? 普通の市民ならば、「真実を理解してもらえば、あっさり釈放」と思うからだ。
普通の市民とは?普通とは?この気持ちは分かると思うのですが、「普通」という線引きから零れ落ちた人が、この論理で冤罪になる可能性はある訳で…。検察とか、裁判所がこのような判断はしないと思いますが…。
確実な証拠なしに真犯人を見つけるのは危険だと思いました。刑事ドラマとかでは『指紋』とか出てきますけど、猫の首輪に指紋とかなかったのかな?もしくは、容疑者の段階では指紋とかはとれない??
終わります。
真犯人やったことの反社会性、真犯人が誰か?の問題とは別に、推定無罪が覆ったりしたら…怖いな…と思った訳です。