このダイアリが移転したのは、いじめ問題とかに関するエントリを書いてたら、匿名の存在からヤヤコシイ・コメントをかかれて、「もう疲れた。」と思って、日記的なことは移転させたのだけど、私の中で憎しみの火が消えた訳じゃあないし、憎しみの感情を生涯持ち続けることが、会ったことのない匿名の存在に対してできる、対抗手段の一つだと思った。
サイレントマジョリティーでは決してないだろうけど、そういうヤルセナイ気持ちを抱えた人がいるなら『憎しみ神社』のようなモノを作ったらどうか?と思った。
Webサービスも色々あるけど、一つの様式というか、仕組みを考えると…。
- 如何にして意味のあるテキストを効率的に集めるか?
という部分があると思う。俳句とか、小説とか、レシピとかのコンテストとかは、その基本にのったモノで、インセンティブ等々をやりくりして…という話はさておき。
例えば、ムカつくコメントがついた時に、一番の精神防御策は、非があろうがなかろうが、削除することだと思う。私の場合は、コメントのヤリトリで、余計に憎しみが加速した。
ただ、削除したって、個人差はあるだろうけど、「コメントがついた記憶」と「憎しみ」は残るように思える。本人特定は容易ではなく、ブロガーと、コメントをする人の精神的負担の違いは、色んな所で語られていると思う。
私は、ずっと憎しみ続けることで、何か、電波とかスカラー波な力じゃあなくても、「会ったことのない誰かが憎しみ続けている」という気持ち悪さを、本人が知らなくても、発し続けたい…と思った。
それを形にするには、コメント内容を140文字以内に分割して、ツイッターボットに登録した上で、ツイッターまとめ機能を使って、ブログが存続する限り、永久にネット上にログを残す…ということなのだけど、流石にやってない。
その仕組みを、個人でやるだけじゃあなくて、色んな人から募って、ボットを使ったり、使わなかったりして、ブログ記事などにアップしていく仕組みを考えた。
Web神社的に。一応、神社だから、投稿した時点で、神様(罵倒観音など)が引き受けて、一応、憎しみから解放される。そして、その憎しみの元となったコメントは、永劫に、ネットをさ迷う…。
終ります。
…と考えた時に、結局、憎しみの元がこの世から消えないから、本人も憎しみから逃れられないような気がするし、ここまで、匿名の2ちゃんねるカブレの中学生か、高校生か、大学生か、社会人か、男か、女かの人を、憎む人もいないだろうから…多分、このWebサービスは、上手く行かないように思えた。
後、集まったコメントを週一でプリントアウトして、しかるべき神社で供養?して貰うとか、ネットに発し続けられる罵倒コメントも50年くらいしたら、解放させても良いかも知れない。
神社とか、お寺さんを調べたら、そういう『憎しみ』を引き受ける神社もあると思うのだけど、調べてみたら面白いかも知れない。
後、『憎しみ』の部分を逆転させたら…幸せなWebサービスになるんだけど、とかも、思った。
忘れてた。
炎上の抑制と加速だけど、匿名でコメントをすると、そういう気持ちの悪いWebサービスに巻き込まれる可能性を作ったら、抑制されるように思ったのだけど…当然、その神社がバッキバキに炎上する可能性もある…ということを、書き忘れてました。