ちょっとジャンプ感想も尽きた感じなので、ちょっと日常的な話題でも。以下の記事を読みました。
50. 批判するのをやめる思えば、このダイアリは、滋賀県大津のいじめ暴行事件の加害者の残虐性の部分に関して書いた記事で小火騒ぎが起きて、日記を移転させて、ジャンプ感想とかをシコシコシコ書いていることを思い出した。
誰かの、そして自分自身の批判をするのをやめましょう。過度の批判はあなたの情熱を失わせます。心を明るくし、人生をそのまま受け入れましょう。
人生をより楽しくさせる100の方法 | Webクリエイターボックス
結局、あのドヤ顔で人のダイアリにコメントを書き散らした中学生かも知れない、中学生じゃなくても、匿名だから中学生かもしれない、中学生と思しき、中学生かも知れない人は、もう、このダイアリを読んでないだろうけど、かわらず、この社会で生きておられるかも知れないし、何か不慮の事故で死んでしまわれたかも知れないし、そもそも、匿名の存在だから、Botだったのかも知れない。
しかし、思えば、そういう小火騒ぎが起きたのも、私が、滋賀県のいじめ暴行事件の加害者のことを『批判』する内容のことを書いていたからであって、結局、ダイアリの日記を移転したり、移転した先でも、小火騒ぎが起きたことを考えると、全く持って、批判Disというのは、人生を楽しくしない、ということが分かる。
結局、あの時は、匿名という最大限の防御力を持つ相手に対して、頭を悩ましまくったし、都合が悪くなったら読まないという選択ができる匿名に対して、出来る反撃は、生涯を通じて憎み続けることかな?という結論に到ったのだけど…。
まぁ、そういうのも、結局は、人生を楽しくしないですよね。
批判というのは、確かに、文章にしやすく、キーボードがよく動くのだけど、思えば、批判に対する批判は生まれやすく、そういうのは、ジャンプ感想で学んだことだったのにな、と思いました。
情報発信がやりやすいから、批判も発信しやすいのだけど、できたら、批判のないインターネットをしたいと思うけど、きっと、明日も、批判をするだろうな。『批判』というのも、七つの大罪の一つかも知れない。
しかし、最近は、反日デモのことにインターネットの興味が移ってしまって、いじめ問題とか、滋賀県の続報とかを、トップエントリで見なくなったことを考えると…インターネットって、そういうものかも知れない、と思った。