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いじめっ子が虐められるのと最初の「いじめ」は全然違うと思う。

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【定型文】

私は、小学校、中学校の時に、いじめの加害者にもなり、被害者にもなりました。加害の部分は、女子への容姿などを理由にした悪口や陰口などです。被害の部分は、小学校の時は暴力などです。1対多数になったことはないです。中学の時は、サブカル嗜好や運動面が劣っていることでバカにされたり暴力を受けたりしました。仲間はいました。

大学院の時は、修了に絶望して、自殺しそうになったことがあります。結果、留年を交えて、修了はしました。社会人の時にも、色々ありました。

この文章は、「いじめ」問題を語る時に、定型文として使っております。記事にしている問題に関する、私の背景を知ってもらうためです。理由のない興味本位じゃあないことを知ってもらうためです。

過去にさんざん行われてきた研究結果からは、このように「いじめる側」がいつのまにか「いじめられる側」になってしまうのは珍しいことではなく、むしろ「いじめられやすい性格傾向」と「いじめやすい性格傾向」はかなり共通する部分を持っていること、このため「いじめ」と「いじめられ」はかなり相関してしまうことがわかっています。

(ちょっと考えてみれば、これはまあ当たり前の話で、他人を繰り返しひどくいじめるような人というのは、相当に性格が悪いわけですから、いずれみんなから嫌われ、いじめられるようになってしまう確率が高いのです。 しかし、そうやって「性格の悪い、もといじめっ子」をいじめている人も相当に性格が・・・、ときりがありません。)
「いじめ」vs「いじめられ」の複雑な要因の話 - 心の由来:「心」についての身もふたもない話 - Yahoo!ブログ
ちょっと違うと思った。多分、この考えの先には「いじめられる側にも原因がある」に繋がるのじゃないかな。
 以下が、私が書いていた「はてブ」コメント。
先天的な性格の方向性の部分は、理解出来るのだけど、「いじめたことで」「いじめられる人」と、最初に「いじめ」のターゲットにされる人は、要因が違うと思う。そこは分けて論じて欲しかった。
はてなブックマーク - 「いじめ」vs「いじめられ」の複雑な要因の話 - 心の由来:「心」についての身もふたもない話 - Yahoo!ブログ

以前、性格の遺伝的先天的な部分、犯罪を嗜好する脳、というのを考えていて、このダイアリは炎上したのだけど…ちょっと、その辺りを考えていて、加害者になる性格の遺伝的特性があるなら、被害者になりえる性格…というのもあるのでは?と考えていた。

例えば、「内向的」とかは、結構、生まれつきのニュアンスも語られる部分もあると思うが、結局、コミュニケーション力だけを過度に求める社会になっているだけに思える。

で、引用部分に関してなのだけど、「人を虐める性格」だから、虐めのターゲットになる、という部分と、最初に「虐め」のターゲットとなるのでは、全然、違うと思う。良いはてブコメントがあったから、引用してみる。

いやいやいや、いじめる遺伝子君が行動を起こさなきゃいじめは起きないんだからいじめられる方に必要な援助は心身とも防御しかないでしょ…とにかくバカに傷つけられて人生フイにするこたあないってそれだけ。

そう。最初にいじめられる人は、「虐め」特性のある人がターゲットにする訳だから、全然、理由が違うし、大抵は、「反撃してこない人」とか、「体力的に(いじめっ子よりも)弱い人」じゃないだろか。そこから始まる、ネットも巻き込んだ、加害者叩きという「虐め」の連鎖は、認めるけど、最初の段階で「ときりがありません。」と論じるのは、間違いのように思える。

勿論、筆者は、「最初の虐め」が明確に理由が違うから、端折って書いたのかも知れないが、最初の部分を省略することは、「いじめられっ子にも虐められる原因がある」という話に繋がると思う。そもそも、「ムカつく」という感情でさえ「原因」と昇華する人はいると思うし、そういう人達には、格好の補強材料にもなりえると思う。

最後に、もう一度、良かったはてブコメントを引用してみる。

こういう話を抽象レベルだけで語るのは危険だ。また、イジメにはここで言う報復タイプだけでなく、それが全く無いが故に選ばれる生贄タイプもあるだろう。イジメられる側に原因と安易に言うべきでない。

『報復タイプ』と、『生贄タイプ』に全てが集約されていると思う。私の中の、もやっとしたモノが、一気に統合された感じがしました。

終ります。

私は、元記事のブロガーさんのことは知らないけど、氏が「虐められたことがある」、「虐めたことがる」、「傍観したことある」、という部分が気になった。多分、日本に住んでいる限り、どの経験もない人は、いないと思うけど、多少の「自分語り」があれば、もうちょっと、私の氏の記事のとらえ方が変わったかも知れない。

生活に根ざした問題だから、その部分がないと、宙に浮いた話のように思える。