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坂本龍一氏「たかが電気」は悪い意味にとられ過ぎじゃないか?

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いまだから読みたい本――3.11後の日本

彼は、「たかが電気のために、この美しい日本の未来である子供の命を危険にさらすべきではない」とのたまった。確かに、たかが電気である。命には代えられない、と思わずうなずきたくなる甘いささやきではあるが、「たかが電気」がどれだけ多くの命を救ってきたことか。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120721/trd12072103130001-n1.htm
 「たかが電気」で私が感じたこと。

とらえ方は人それぞれだから、別に、どのような、とらえ方をしても良いと思うが、悪い方にばかり、とらえ過ぎな気がするし、「電気のおかげで儲けて来ただろ!」とか、「電気自動車のCMに出ているのに!」とか、引用部にある、『「たかが電気」がどれだけ多くの命を救ってきたことか。』は、ちょっと違うと思う。

私が、感じたことだけど、彼は、電気自体を「つまらないモノ」とは言ってないと思う。私は、そう感じた。

私が感じたことは、「原子力発電に限らず、色んな発電方法で、電気は生み出せる。」、「だから、原子力発電に拘り続けるべきではない。」という意味を含んだ「たかが電気」、だと思った。

発電方法の違いが、電圧等々の部分以外で質的な違いがあるかは知らない。でも、仮に「電気は原子力発電でしか生み出せない」のと、「他にも発電方法が色々ある」のでは、随分と違う、と思う。

だから、電力に対する国の方向性とか、社会のあり方で、「発電の方法に選択肢がある」という意味で、「たかが電気」だと思った。色々と考えれば、より、良い方法がある、「脱原発」に繋がっている言葉だと感じた。

言葉を言葉のままにとらえたら、引用した部分のようなとらえ方は出来ると思うのだけど、より多くの人に発信する場で、短絡的に思える解釈を書くのは、扇情的だと思った。勿論、それが狙いなのかも知れないけど。そもそもの「脱原発か、そうじゃないか」の部分かも知れないが。

そんな風に考えた。