今年の3月、2012年の3月は、友人を頼って福島県に滞在していたのですが、その間に、何回もパチンコに行ったことを思い出した。まぁ、私は、好きだから行っていた訳だけど。
以下の記事を読みました。インターネットのパチンコ・アレルギー的な部分を考えると、この記事もガンガンにDisられるのかな?
被災地とりわけ福島で、人々がパチンコに通う大きな生理メカニズムがあると察せられました。つまり、高度なヴァーチャル・リアリティ音場で知覚的に隔離された遊戯台のため、身の回りの環境を、しばし忘れることができる。別のリアリティの中に自分の身を置くことが出来る。
パチンコが救った心と命:日経ビジネスオンライン
「忘れることができる」。しかし、パチンコは負けた時に『現実』が待っているから、そこから逃避するとヤバイケド。
現実逃避。
中学か、高校の保健体育で習ったことだけど、「考えすぎると心が潰れるようなことから」、「一時的に逃避」することは、精神防御法、人間が取りうるべき行動として、紹介されていたと思う。非難はされてなかったと思う。
そういう意味では、震災が1年経過した福島に一ヶ月過ごしたくらいでは、体感できなかったこともあるだろうし、パチンコが心を救った、というのもあるかも知れない、と思った。
終わります。
逃げることを否定すると、自分が逃げたくなった時に、デッド・エンドかも知れない。それが、社会の生きづらさかもな、とか、思った。