以下のエントリを読みました。
線量の高い場所での作業が必要なのは原発事故の場合だけに限らない。
原発の廃炉においても必要となる。
原発の推進・反対に関わらず既に原発がある以上、老朽化した原発の廃炉は必要だ。
廃炉に必要な被曝労働者をどのように集めるのか。
経済的格差を利用して集めてはならないと私は思う。
未来のリスクを避けたいと思いつつも経済的困窮ゆえに今日を生きるために貧困層が被曝労働に従事するということはあってはならない。
この国には徴被曝労働制が必要だ - 模型とかキャラ弁とか歴史とか
単純に思ったのは、「おれ、被爆労働したくないので原発全部なくしてください」ということだった。
私の父親は、電気関係の仕事をしていて、原発にも行ったことあるのですが、被爆量が限られた仕事・・・に関して聞いたことがあります。
大阪とかのある地区から、日雇い労働者を集めてきて、一人1分とか、そんな時間でネジをゆるめたり、しめたりする。約束の時間がきたら、ピーピーと音がなる。交代する。
年間被爆量が決まっているから、同じ人が作業に関われる時間は、限られているのですが、人を集める時に、なんか、ロンダリング?その辺りがウヤムヤになって、結局、年間被爆量を超えて仕事をしている人がいる(らしい)。
そんな話を聞いた時に、原発ってこえーなー、ということと、あと、貧しさ、というのも、こわいなー、くらいにしか思ってなかったのですが…。
冒頭のエントリを読んで、目が覚めました。あかんわ、こんな考え方は。貧富の差によって、生命に関わる仕事をするか、しないか。勿論、原発以外の仕事でも、それは、言えるのかも知れませんが…。
はたして。日本人がやる、外国人がやる、色々とあるかも知れませんが、もしも、原発の問題が国民全体の問題だと考えた時に、「徴被爆労働」というのは、もっともだとも思うのですが…「おれ、やりたくないから原発の方をなくしてくれ」というのが、素直な感想です。
その思いを喚起させるためのエントリじゃないかな?と思えます。さてさて、はてブには、どんなコメントが集まっているだろうか?これから、読みます。こまねち。