良い記事を読みました。
ふつう低学歴で育ってきた人って「教育にコストをかける」っていう考えかたがあんまりないんですよ。所得の問題もあるかもしんないです。現実的に金かけられないって。でもより重要なのは「学歴なんてあってなんになる。それより手に職をつけろ」ってまず考えるっていうこと。
これね、親自身がホワイトカラーの世界をあまり知らないからこうなります。つまり「あいつらがなにやってんだか実際のところはわからん」ということ。知的世界へのアクセス方法がないからです。
環境という足枷 - G.A.W.
私が働いていた会社は、まぁ、ぶっちゃけると平均学歴が(ry。まぁ、2留年したとは言え、大学院卒業という学歴は、浮いた感じの会社でした。
引用部分を読んで思い出したのは、学歴とか、勉強を否定する雰囲気は、確かにありました。モノを売る会社でしたので、モノが良ければ売れる。プレゼン力よりも、飛び込む勇気、相手のムリを聞く根性、そういうのが、大切にされていたような。
というか、思い切り、「大学を卒業しても仕事には関係ない」みたいなことを目の前で言われていたな。でも、因果関係の理解とか、その辺りの基礎学力の部分とかも大事だと思うのですが、まだ、良い商品が、良い値段であれば、売れる世界だったと思うのです。
と同時に感じていたのは、インターネットをしない人の多さ。いや、情報収集とか、ショッピングとか、エロとかはやっている人はいましたけど、ブログやツイッターをやっている人は、多分、あんまりいなかったな。公表するモノでもないのかもしれませんが。
でも、「ツイッターやブログって芸能人がするのじゃないの?一般人がやって何するの?」という言葉を聞いたことを思い出しました。
冒頭で引用させてもたったエントリを読んで、そんなことを思い出しました。得手、不得手はあると思いますし、私は、車を運転できませんし…まぁ、そういう部分も『環境』なのかな、と思いました。
こまねち。