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万祝の大和鮒子はカトーか鴨林か誰と結婚するか?(ネタバレ注意)

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万祝<まいわい>(11) <完> (ヤングマガジンコミックス)

万祝<まいわい>(11) <完> (ヤングマガジンコミックス)

 子どもの頃、ファミコンの「ドルアーガの塔」の説明書を読んでいて、「ギルとカイは結婚するのかな?」とか、想像して、楽しんでいた。恋愛に関する感情が、当時、どれくらいあったのか分からないけど、「好意をお互いに持った異性が一緒になる」ということが、最上の幸せであるように思っていた。

 もう31歳にもなった私からすれば、当時の感情は幼いモノだと思うのだけど、その時の感情…よりは、すれてしまったと思うのだけど、先日、最後まで読んだ、望月峯太郎先生の「万祝」に関して、恋愛的な部分を考えてみる。

 以下、ネタバレ注意。

 万祝では、ストーリーの中に恋愛的な要素もあって、最終回は、そのニュアンスが大いに含まれているけど、主人公の大和鮒子さんの一夏の冒険であったり、精神的な成長が切り抜いた感じになっていて、この後、彼女がどんな人生を送るか…などは、想像するしかない。

 特に、恋愛的要素、結婚などに関して、思いを巡らせてみる。主人公が女性であるから、こういう感想は、女性が書いた方が、真実味があると思うのだけど、私の中の女性的部分、今までの人生の中で聞いた女性の意見などを参考に考えてみたい。

 鮒子さんが、結婚に関しては、以下の5つくらいの結果がありえると思える。

  1. カトーを追い求めて独身。
  2. カトーを追い求めないけど独身。
  3. カトーと結婚する。
  4. 鴨林と結婚する。
  5. 他の誰かと結婚する。

 それぞれ細かく。

1.カトーを追い求めて独身。

 最終回での彼女の感情を素直に解釈。そのまま継続して行くとするなら、これが一番可能性が高いと思われる。おそらく、カトーは「結婚」などという考えに縛られる男じゃないし、海の中で、自由の中で、生きていくのだと思う。

 彼女も、その世界に生きて行く…ということも考えられて、案外、カトーと同じ船に乗り続ける未来もありえるように思えるけど、そうなっても、仕組みの「結婚」とは、ちょっとニュアンスが違う。さらに、家族や友達、港町と、彼女には「戻る場所」があるから、カトーのような生き方は、難しいと思う。

2.カトーを追い求めないけど独身。

 選択肢の一つとして、独身というのも、あり得ると思う。それは、海や未知に対しての探究心を失った結果かも知れないし、他に打ち込めるモノが見つかったのかも知れない。

3.カトーと結婚する。

 カトーと結婚する可能性もなくはないと思うけど、それは、同時にカトーに対する「憧れ」の部分を消してしまうことにもなると思う。恋愛感情における「好き」とか、憧れとか、「結婚する相手」というのは、別に考える…と誰かが言っていた。

 多分、カトーが結婚して、陸に繋がれるようになったら、確実に彼の良い部分は、消えてしまうと思う。

4.鴨林と結婚する。

 作中において、恋愛感情的には報われなかった彼だが、カトーが残したデロリアンの屋根に手をあてる様は、「諦め」とも取れる。しかし、結婚相手と考えた時に、彼は、結構良い線を行っていると思う。極端な体系と、どもりがちな口調、マンガ的、魅力的にマイナスに思える部分もあるのだけど…。

  1. 異種格闘技という共通の趣味を持つ。
  2. 一夏の生死がかかった冒険を一緒にした。
  3. 親が金持ち。

 という部分は、結構、結婚相手とするには、有利に思える。この辺りは、実際の女性が考えた方が良いと思うのだけど、片方は海賊で、世界中の海を冒険している「憧れ人」で、片方は、「同じ高校に通った先輩で親が金持ち」…どっちを選ぶか?

 よく「付き合う相手と結婚する相手は違う」みたいな意見を聞くと、吐き気がするような感情を覚えていたのだけど、「憧れる相手と結婚する相手は違う」というような部分は、例が極端だけど、共感できると思った。また、「好きになってくれる相手の方が大切」なんて意見も聞いたことがある。

 多分、鴨林と結婚した場合、「憧れの相手」として、カトーの存在は、生き続けるのだと思うが、結婚という実生活と、憧れは、共存できるような気がする。結局、この項目が一番文章量が多いのは、悲恋に終った鴨林を応援したい気持ちになったからだろうか。

5.他の誰かと結婚する。

 高校1年生の一夏の物語と考えれば、この後に会った他の人と結婚する可能性は、大いにありえると思う。

終ります。

 物語のラストって、全てのことが、完了している必要はなくて、その後を想像する…というのも、物語の楽しみ方の一つだと思いました。そういう観点で読めば、ジャンプの打ち切り作品のとらえ方も変わってくるかも???

 これは余談ですが、万祝は同じく望月峯太郎先生の「ドラゴンヘッド」と対になっている物語であるような印象を受けました。

ドラゴンヘッド(10) (ヤンマガKCスペシャル (854))

ドラゴンヘッド(10) (ヤンマガKCスペシャル (854))

 ドラゴンヘッドは、絶望の中に希望をみつける。みつけようとする物語であるなら、万祝は、日常の中に、好奇心や探究心、希望をみつける物語であるな。と。そういう風に考えてみると、宝進丸に、カトー宛の置手紙とキャンディを残していったのは、ドラゴンヘッドのセルフオマージュのように感じました。

 こまねち。