文章をぶん投げます。夢とか希望とか小説とか。
王様の耳はロバの耳の穴です。
文投げ部
こういう表現で言い表されるグループ。しかし、端的に言うと、ピークを過ぎた…と言いますか、「文投げ部ってオワコンなんじゃないですか?」と自嘲的にツイッターしたくなるような気持ちになりました。少し前に。
自画自賛、手前味噌ですが、「そこそこ面白い文章」を書いています。なので、折角なので、少しでも多くの人に読んで欲しい。そのために考えたのは、「更新頻度の再生」や「掘起し」でした。ブログイップスを乗り越える。そして、最後に行きつくのは、「ぶんなげ」です。
先ず、ブログイップスですが、以下のような考えです。
前述したように、ヒットエントリーが出ると「次もウケないと……」とブログが書きづらくなることがあると思います。世間にアピールしていると言うことは、それなりに自己顕示欲がある人でしょうから。私は、この世間の目が気になって書けなくなる状態を『ブログイップス』、と勝手に呼んでます。
ブログを始めてみたいなと思う人へ、始めてみたけど行き詰まった人へ - じゃがめブログ
つまり、「期待されているから、ちゃんと書かないと」という気持ちが、更新頻度を落とすような症状です。私も、現時点でマックス29ブクマも得てますし、部長は、もっと得ています。他の部員達がブログイップスに罹っているかどうかは分かりませんが、近年、推敲等々を行い、完成度を高める作業に注力されている感じがします。
しかし、以前、ほど反応はない…。それは、作品の内容だけじゃなくて、『文投げ部』が注目されてない…とうのが、原因じゃないか…と思いました。
そのためにできることは何か?それは、一つは「定期更新」だと思います。新聞が、週刊誌が、月刊誌が素晴らしいのは、一定の間隔で、発行されるからです。ブログでも、それは、言える。毎日更新するブログは、ファンは毎日読みに来る。週一更新のブログなら、週一度、月一度なら、月一度は、来てくれるでしょう。その更新がペースになっているなら…。
実際、「創作」という意味合いでは、週一の更新でもしんどいでしょう。それならば、月1でも…。月1に更新するなら、例えば、月末とか、月始めとか、25日とか…更新する日をコントロールするくらいの工夫はいりそうです。「月に1度気が向いた時」というのは、不定期更新ですからね。
さらに慢性的なネタ不足を緩和するためには、過去コンテンツの「掘起し」じゃないかと…。実は、私は、部長の作品の全てを読んでいる訳じゃあありません。なので、例えば…
- 他の部員の作品の感想。
- 他の部員の作品を勝手にリメイク。
- 他の部員の企画に乗っかる。
くらいのことなら、月に1度くらいはできるように思えます。その時間がとれない時は出てくるでしょうが…。
後、サイドバーに「人気エントリー」を表示するくらいの工夫は、標準装備であって欲しい。
後、更新頻度だけを重視するなら、必ずしも、クオリティーに拘ってはいけない…とも思います。それが、乱文であっても、「何かが出てくる」ことを大事にしたい。後、ツイッターやダイアリ等々を使った拡散…などなども、考えて…。
…いきつくのは、結局は、そういうインターネット術からの解放されることも、「文投げ部」の目的だったのじゃないかな?と思いました。再生を望むことも、一度、ブログイップスに罹ってしまったからでこその考えです。
文投げ部の始まりを探してみました。
そして、いろんな人たちが、楽しそうにテキストを投げている昨今。触発されて僕もぶんなげてみたいと思ったその想いを大事にしようと思った。物欲しげで、寂しそうな自分すら愛しいと思いたい。
とりあえず、更新をぶんなげてみようと思う。
全てを慈しむという戦術 - だって、思いついたから - 文投げ部
「ぶんなげる」。きっと、更新頻度とか、内容とか、全てを自由に…彼の当時の心情を100%理解できてなくて、きっと、5%も理解できてない気がするけど、注目される為の拡散を考えるなら、「孤独」であることを楽しむ…というのが、本来の目的だったのではないか…と想像できます。
もっと適当に、もっと、思うままに…。ここで書いたアイデアは、実践しようと思いますが、「終っている」なら「終っている」ことに、美学を見出していく、時代に、既になったのかも知れない。
こまねち。