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火山灰が降る街と5月5日に鯉のぼりが揚がらない町では「どちら」が特異か?

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 先日、以下のエントリを読んでおりました。

火山灰が街に降り注ぐ



鹿児島の天気予報では「桜島上空の風向き」というコーナーがあり、主婦は洗濯との兼ね合いがあるのでかなり気にする。噴火と風向きが重なれば、桜島の火口から吹き上げられた火山灰は、当たり前のことではあるのだが街に降り注ぐ。これはもう、他県民からしたら想像を絶するほど降り注ぐ。傘が必須なのだがパラパラと降り注ぐ音がする。目に入ると痛い。これも当然、日常茶飯事。

離れて「わかった」鹿児島の特異性 - 世界はあなたのもの。

 ざっくりと言ってしまうと、鹿児島には桜島があり、噴火するから、火山灰が降ってくる街…確かに、特異だ。私は、京都在住ですけど、生まれてから一度も、街に火山灰が降ったことがない。私が覚えている範囲で、一度も…。大雪とかはあったけど、最近、雪も、あまり、降らない。

 引用したエントリは、あの憧れのトップエントリ入りしたエントリで、「いいなぁ」とか、「私の住む町も特異性ないのかな?」とか考えていたのですが…実は、特異性がありました…それは…。


 小雨が降ってきた時の擬態語として、「ピリピリ」を使うのである。使用例としては…「雨がピリピリしてきよったなぁ(関西弁のイントネーションで!)。」という感じで、標準語に翻訳をすると、「小雨が降ってきたぞ」…という感じでしょうか。

 ではなく。私が住んでいる町では、5月5日、子どもの日、端午の節句に、町に「鯉のぼり」が揚がりません。なぜなら、土地の神様が、鯉だからです。

 うろ覚えの神話を書いてみると、土地の神様が、私の地元を目指されていた時に、最初は亀に乗っておられたのだけど、滝とかで、亀が無力化したために、そこで、鯉に乗りかえられて、私の地元まで来られた…という感じです。そのため、鯉は、神様の使いなので、人間の勝手で、空に揚げたり、また、鯉も食べません。

 不思議なモノで、京都市のベットタウン的な意味合いを考えると、他府県から住まれた人とかも近年増えているハズなのですが、どうにも、本気で町に「鯉のぼり」が揚がっている気配はないです。勿論、5月5日に町に調査隊が闊歩するとかも、ないです。勿論、私が知らないだけで、揚がっているところでは、揚がっているのかも知れませんけど…。


 ちょいと、私のうろ覚えでは、テキトーな感じなので、インターネッツで調べて、引用とかします。

祭神木股神が鯉に乗って保津川を上がってきたと伝えられ、大井町には神の使者として鯉を食べず、鯉のぼりも上げない珍しい風習が伝えられている。

亀岡市/大井神社
和銅3年(710年)、元明天皇の勅命によつて創建された。伝承によれば、大宝2年(702年)、御井神と市杵島姫命が亀の背に乗って大堰川を遡上し、保津の急流に乗れなかったので鯉に乗り換え、現在の亀岡市河原林町勝林島に上陸したという(その地にも同名の大井神社があり、同じ神を祀る)。このことから、鯉が当社の神使とされ、当社の氏子は鯉を食べることを禁忌とし、端午の節句に鯉のぼりを上げることもない。

大井神社 (亀岡市) - Wikipedia
和銅3(710)年の創建と伝わる大井神社の氏子は、鯉を食べることはなく、節句にも鯉のぼりを上げない。不思議な風習である。



これには理由があり、丹波亀山藩士の矢部朴斎が記した桑田郡の地誌『桑下漫録』(文化5(1808)年から天保15(1844)年)などによると「嵯峨にある松尾大社の神さまが、亀に乗って大井川を遡られたが、八畳岩(保津川)の辺で水の勢いが強くなり、亀では上がり切れないので鯉に移られ在元淵(勝林島)に着き鎮座された。その後に大井神社に移られた」とある。このことから、鯉は神の使として村人に大切にされてきた。

琵琶湖・淀川流域圏連携交流会 | 大井神社の鯉伝承

 よくよく考えると、私は、『氏子』とかじゃあないのですけどね。小学生の頃には、既に、「鯉は神様」という自覚がありました。母親は、岡山出身で、父親は、京都ですけど、鯉が神様の圏外の生まれなのですけど…。


 差て。ここで、もう一度考えたいのは、「火山灰が降る街」と「鯉のぼりが揚がらない町」とでは、どちらが、特異か…???まぁ、地形的及び物理的な特徴による特異性と、地域的精神的心理的特徴による特異性なので、一概には、比べられませんわな。わな。

 ちなみに、かなり、限定的な地域なので、この話題が分かる人、自分のブログでも取り上げている人は…かなりの、ご近所さんである可能性が高いのであります。こまねち。