AKB48襲撃事件に関連して、以下の記事を読みました。
- 「会いに行けるアイドル」というが、そもそもなんで会いに行けることが新鮮なんだっけ? - とある青二才の斜方前進
- ブッコメークしたこと・[はてな][芸能]良いことも書いてあるのに、感情が逆撫でられる部分も多いのはなんでだろう。本筋から離れるところに多い。
まあ、感情のままにブコメをしたら、Dis成分が強くなるので、良いことを中心に読んでみました。
そして、以下の引用部に関して考えてみます。
「会いに行けるアイドル」はアイドルかもしれないけど、有名人ではないんだよ…。有名人じゃないから会いに行けたし、有名人になった途端に会いになんかいけなくなる。
会いに行けるアイドルの変遷を考える。
「行ける」というのは、「行くことができる」という可能の意味を含んだ言葉ですが、AKB初期の頃は無名故に厳重な警戒体制が不要ということだったのでしょう。しかし、騒動が起きなかっただけで、その時も必要だったわけです。
そして、事件が起きた今も「会いに行ける」。あえて過去形で「行けた」。今後の警備等々がどうなるか?は分からないですが、多分、今後も「会いに行ける」のじゃないか?と。
ビジネスモデルの話がよく出てきますが。また、今回の事件は警戒、警備レベルが低かった故に起きたことなので、今後、十分に安全な状況が作られたら、やはり、会いに行けるのじゃないか…と。
警備の問題を抜きにして、そこのコンセプトが折られることはないのじゃないか…と思えます。
なんか、いいこと書こうと思ったのですが、思ったほどまとまりませんでした。