30歳の時に、それを記念して自伝を書いて60部ほど無料頒布しましたが、PDF形式でネットで売っていて、1冊だけ売れました。まぁ、それは、ネットには出してないので、ブログでの自分語りじゃあないけど。
ブログを書く時には、ソースもしくは、書きたくなる感情量が必要で、以下の記事を読んで、それに達しました。引用です。
ほとんどの自分語りは自己承認を求めていたり武勇伝を語りたいだけで、それらが透けて見えとても気持ち悪く感じる。
ツイッターやブログでの自分語りがよくわからない
- この増田氏がフェイスブックとかやったら悶死するだろうな。
多分、日記というイメージから始まったブログは『自分語り』あるいは『備忘録』のような意識が強いと思う。ツイッターだって「つぶやく」イメージで日本では広がったから、そもそも自分語りが前提だと思うけど??
ちょっと他にも気になる部分を書いてみよう。
面白いとは?
例外は面白い場合だけで、それは少しくらいは読む側のことを考えていたり、自己完結することなく普遍性なり一般性を持っているためだろう。
面白さ、というのは非常に考える部分があると思う。例えば、このダイアリは、私のことを知っている人と、そうじゃない人で『面白さ』は変わると思う。ネットで書く以上、知らない人が読んでも『面白い』方が良いのかも知れないし、そうじゃなくてもよいと思う。
自己完結しない普遍性を持って、一般性を持っている『自分語り』とは何なのか?ちょっと『お笑い』のことを考えてみると、『観る相手』のことを考えたネタが結局、多くの人に喜ばれるネタである…という話を聞いた。ブログもそうなのかも知れない。
でも多分。
私のオフラインでの活動、演劇をやっている姿を知ってくれている人の方が、このダイアリは面白い気はする。引用部分の『面白さ』は、増田氏の主観の部分だけど、面白くないと思う一方で、面白いと思う人がいる。
読者を無視している?
パソコンやスマホの前では誰もが最も主観的となり、読む者がいてこそのブログ、ツイッターであるのに読者を無視する。
多分、そもそも読者を想定するのが難しい部分はある。と思う。このダイアリは、そんなにアクセスもないし、コメントなども、そんなにつかないから、あんまり読者を意識してない…ということもないけど、少なくとも、少数の知り合い以外は、意識していないよーな気もします。
コメントとかはてブで言及されているブロガーさんが意識されているかどうか分からないですけど、「頭はげてきた」という報告が、ガンガンブクマされるような事例を見ると、私が同じ報告をしても、同じ注目は浴びないだろうな。
話がそれたか。
それてないか?増田氏が『はてな』の有名人を知っておられるかは分からないけど(多分、知っておられる)と思うけど、頭髪の報告にしろ、『読者』かそうでないかで印象は違うハズで、自分が読者じゃない一方で、他に読者たくさんいると思う。
ブログの自分語りは素晴らしい。
から、ブロガーはもっと自分を語ればよいと思う。別に実名でやる必要はないけど、何を感じるか、何に怒りをおぼえるか、憤るか、喜ぶか、政治的主張、食べた物、読んだ本、マンガ、創作、小説…もっともっと語ればよいと思う。
自分語りの塊である『自伝』を書いた身としては、倫理や社会性などは考慮しないといけないけど、人が書いた文章は、それだけで素晴らしいと思う。表現が間違っていようが、誤字があろうが、伝わらなくても、改行があけあけでも、面白くなくても、つまらなくても、長くても、短くても、同じようなことを言っている人が他にいても、読者がいなくても。
自分を語れば良いし、自分語りは素晴らしい。
終わります。
ネットで注目されていることと、文章の面白さは、相関している部分と、そうじゃない部分もあります。見出しとか、文字装飾とか、改行とかなくても、天性のリズム感を持って長文でも楽しく読ませるブロガーはいると思います。
コンビニ店長氏をイメージしています。
読者や面白さを意識して、筆(キーボード)が止まるのであれば、開き直るくらいの気持ちでダラダラ長文を書きまくっても良いと思います。