昨日書いたエントリ「社会やインターネットの影響を受けて子どもが子どもをいじめ殺すなら大人や社会にも責任はあると思うが…飛び越えている部分を感じる。 - 伝外超スデメキルヤ団劇」にコメントがあったので、コメントに関する返信を書いてみます
別にそういうことを書くなとか考えを改めよと言ってるのではない。指摘してるだけです。
あなたが言ったことを一般化するとこういうことですよ、その論理が必然的に逢着するのはおそろしいところですよと。
「大げさに言えば」とか「曲解すれば」ではない。社会やインターネットの影響を受けて子どもが子どもをいじめ殺すなら大人や社会にも責任はあると思うが…飛び越えている部分を感じる。 - 伝外超スデメキルヤ団劇
私は、間違っていることは指摘されても良いのですが、指摘をする事と、「考えを改めよと言ってるのではない」が結び付かないです。私はどうしたらいいのか?という感じで、「間違ってるから考えを改めよ」と言われた方が気が楽なのですが…。
「ブラクの奴らってなんか気味わりーよね、実際犯罪とか多いらしいしさ、やっぱ俺らマトモな日本人とはなんか人種?が違うのかもな」
「オマエはいったい何を言っているんだ」
「いやあただちょっとそういう気がしただけなんですモゴモゴ…別に差別につなげるつもりとかないんでモゴモゴ…」
例えて言えばこういうことです。釈明になってないどころか無責任なぶんだけよけいタチ悪いでしょう。
正直なところ、元もとの話題の、いじめ殺人に至った中学生以外の社会的問題が出てきても、困るのですが「一般化」ってそういうことなんでしょうか?連想のような気がしますが…。
先天的な「脳の構造」で考えれば、人種等々と考えられないこともないですが?仮に、同和問題とからめるなら、住んでいる地域によって、脳の構造に傾向がある、とかでしょうか。
ただ、私が元々のエントリで書いていた「脳の構造」というのは、触れてなかったですが、日本全国を平均化して、一定確率で「そういう構造の脳」が生まれる、というイメージだったのですが、土地と結びつけて考えるのは、危険な気がします。だから、そうは考えません。
あくまで、「人をいじめ殺す」もしくは、「自殺の強要をする」等々の事柄が「全員の脳が先天的に平等で、生まれた後の環境等で変化していく」と考えるよりも、「人によって脳の構造が違う」と考えた方が、納得ができるのです。もしも、全員の脳が無個性で、生まれてから環境で変わっていくなら、小さい頃は皆似ている、ということになります。
人の顔とかは、むしろ、他人で「似ていること」の方が珍しいくらい、人によって違う訳で、見えないだけで、脳の構造も、さまざま、と考えるのも「妥当」だと思うのですが。
もうひとつ、遺伝的犯罪者という概念の没論理性についても重ねて指摘しておきましょう。
「もし」チンギス・ハンだの織田信長が今の世に生まれたら何やってるでしょう?大企業の創業社長になってるかもしれないし、チンケな理由で人を殺して刑務所入ってるか、あるいはオレオレ詐欺でもやってるかもしれない。なんて想像するだけ無駄みたいな話ですね。絶対に誰にもわからない。
では、織田信長や、チンギス・ハンと同じような脳の構造を持つ人間を1万人ほど現在に放ったら、何か、傾向が出てこないか?と思います。脳の構造、犯罪脳に関しては、100人に1人、その1人を100人集めてきたら、その中の1人は…くらいのスケールで考えています。
では、自殺に追い込むまで、いじめる人は、1万人に1人か?とか、そういう話です。過去の偉人が現代にきたら…と考えるのは、別に、無駄でもないと思います。
なにが犯罪かというのは人の世の、人と人との取り決めによる。つまり「当為」の世界です。
脳というのは物理的なモノ、つまり「事実」の世界のものです。事実から価値命題をひきだす(引き出せたつもりになる)のが、つまり全てのオカルトに共通する錯誤です。
意味が分かりません。人と人が取り決める世界があったとして、その人の中には脳がありますが?では、例えば、鬱病になった時に、脳のある部位が不活性になっているとか、そういう研究もオカルトなんでしょうか?
さらに悪いことには脳の機構的実体なんてホントは全然わかってないんです。
ソースを教えてください。
三流学者が操作主義的に行為から逆算して「おかしなことやる奴は脳がおかしいに違いない」と言ってるだけです。
事実そのものについての理解がいい加減なのも、やはりオカルトの特徴です。
私が元もとのエントリで引っ張ってきたニュースは、2008年頃のモノだったので、その後の研究がどうなっているかは知りません。ただ繰り返し言えるのは、学者が三流とか、ニュースソースがどうこうよりも、「脳の違いが行動や嗜好に影響がある」という方が「納得できる」です。
今の社会が健康だとは思いませんが、その延長として、私も含めた社会の悪い影響や、家庭、学校の影響が中学生に与えた結果、「全裸で射精を強要する」とかに到るのは、想像の範囲を超えているのです。その部分に関する「納得」です。
そういう思考…というより思考停止こそが際限のない「イジメ」の源泉でなくてなんなのでしょうか?
正直なところ、私が考えることを「思考停止」でくくられるのは、怒りを覚えます。元もとのエントリに書いてないことなので、知りえることじゃあないですが、私は元々は、中学生が中学生をいじめ殺すような事象は、私を含めた社会の問題だと思っていました。それは、脳の構造のなんたるかを知る前ですが、どう考えても、自分の倫理や道徳的観念では説明がつかないことが起きているように思えるのです。
そして、最終的に「納得できた」のは、「脳の構造の違いです。」。脳味噌の作りで差別をしたいか?とか、そんな訳じゃあないです。もしも、脳の仕組みや構造に関する研究が不十分であるなら、脳の作りは万人平等であったり、先天的な構造の違いがあったり、どちらも等しく分からないことのように思えます。
分からないことに対して、私は、「納得できる」方を選んだだけなのです。私の考えがイジメの源泉なんでしょうか?脳じゃなくても、顔や、体つきや、得意なこと、苦手なことが、人によって「違う」ことを認めることと、それを理由に「いじめ」をするのとでは、全然、意味合いが違うように思えるのですが。
どうなのでしょうか?私が考えているようなことが、いじめの源泉となり、もしくは、助長しているのであれば、考えは改めないといけないと思いますが。
こまねち。