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人間社会において「人格が劣る」とはどういうことか(傲慢)

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 以下の記事を読みました。

まずは、読者に質問。以下の3タイプの人材を、管理職としてふさわしい順に並べるとどうなるだろうか。

A 人格がよくて、実績のある人

B 人格が悪くて、実績のある人

C 人格がよくて、実績のない人

私の答えは後ほどお伝えするが、この順番をどう考えるかに、サイバーエージェントの企業カルチャーが色濃く反映していると言ってもいい。

人格劣る稼ぎ頭は、出世させるべきか 「手放せない人の条件」有名社長がアドバイス【藤田晋 サイバーエージェント社長兼CEO】:PRESIDENT Online - プレジデント

 この記事は、この記事を含めて3記事の構成です。最終的に行きつく結論は、ある程度、救いのある内容でした。誰にとって、どんな「救い」かは分からないですが、私は、少し「救われた」気がしました。

 しかし、その次におそってきたのは、軽い「憤怒」でした。「人格が劣る」とは、一体、どういうことだろうか?それは、『傲慢』なんじゃないだろうか。自戒の意味もこめて。

 私が会社員時代も、上司の、先輩の人間関係には、辟易してました。というか、それが、会社を辞めた原因です。正直、「性格悪いな!」とか、毎日のように思っていました。しかし、件の記事タイトルで「劣る」という言葉を読んで、思ったことがあります。

 色んな人間がいて、色んな性格があって、その多様性の中に、性格の良い・悪いがある。その性格の一つの発露として、犯罪とか悪徳とかが生まれるのだと思います。社会生活を営む上で、それらは、罰せられるものなのでしょう。

 しかし、人間関係において、性格の良い・悪いは、「自分にとって」、「都合が」良い、悪い、という側面もあると思うのです。自分から見て、「性格の悪い」人間集団だな…と思って、その中の人達が相互に「性格が悪い」と思いながら、仲良くしている…ということは、ないでしょう。あっても、マレでしょう。


 そんなことを考えた時に、「人格劣る」という表現は、自分を絶対的な正義に据えた価値観と言いますか、非常に、「傲慢」に思えたのです。「劣る」という言葉は、恐ろしい負の力を持っていると思いました。

 正直、人づきあいも上手じゃなく、人間関係が生み出す摩擦で、すぐにメタメタになる私ですが、自分にとって、相手の性格が「悪い」と思っても、決して、「劣る」という表現は、少なくとも、冷静な理性の中では、使わないようにしよう…と思いました。

 「劣る」を考えると、「優れている」という言葉も、何か、恐ろしい気がしてきました。こまねち。